使いたくない言葉
[このコラムを書いたコンサルタント]
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- 専門領域
- 国内外の内部統制(リスクマネジメント・危機管理・コンプライアンスなど)/危機管理広報/その他企業リスク全般
- 役職名
- 関西支店 支店長 主席コンサルタント
- 執筆者名
- 奥村 武司 Takeshi Okumura
2021.9.7
様々な業界において発生している不祥事。繰り返される謝罪にウンザリする向きもあろう。危機管理に長年携わってきた視点で、謝罪会見などで当事者から発せられる言葉から、聞くたびに強く違和感を覚えるものを3つ取り上げたい。
一つ目は「遺憾」。広辞苑によると「思い通りにいかずに心残りなこと。残念。気の毒。」とある。当事者として責任を認識し、謝罪するという意味はないのに、相変わらず謝罪の場でこの言葉が使われている。その度に「最大級の謝意を表明する表現と誤解しているのか」、「そもそも謝る気がなく、本当に残念としか思っていないのか」、「なにも考えず、謝罪の常套句として使っているのか」とモヤモヤした気分になる。仮に正しい場面で使ったとしても、この言葉には本来の意味とは違う色が付いてしまっているように感じる。「情けは人のためならず」のように、誤用である「人に情けを掛けて助けてやることは,結局はその人のためにならない」が広く定着してしまっている例もある。正しく使っても、相手に真意が伝わらなければ意味がない。言葉選びはつくづく難しいと感じる。
二つ目は「誤解を与えたのであれば」。最近とても流行っている(?)言い回しではないだろうか。この後に「謝罪したい」、「撤回したい」と続くのが定番だ。謝罪の場においてこれほど不適切な言い回しはないだろう。誤解とは、発言者の真意と聞き手の理解にギャップが生じた状態であり、本当に誤解であれば、そのギャップを埋める努力をすべきだ。「あなたが誤解した」と責任を転嫁しつつ、説明責任を果たさないままでは、相手の理解を得ることはできないだろう。そもそも理解してもらおうなどと考えていないと受け取られるだろう。問題化している多くの「誤解」は、誤解ではなく、思慮が足りず、非常識で乱暴な本音が社会から拒絶されたものだ。表現の問題と矮小化せず、問題の本質を振り返る姿勢がなによりも必要であり、再発防止に繋がるはずだ。
最後は「回答を控える」。不祥事に関して質問された際に発せられる紋切り型の逃げ口上だ。真意は「回答を拒否します」であり、説明責任とは対極にある対応だ。その場で回答が難しくても、なぜ答えられないのかを論理的に説明することは可能だ。そういったコミュニケーションを一切拒絶するこの言い回しは絶対に使いたくないものだ。
危機対応は、事実関係をしっかり把握し、自分自身や組織の責任を正しく認識することから始まる。そして、対応方針に沿って真意が伝わるよう丁寧に言葉を選ぶ。ステークホルダーとのコミュニケーションの機会の中でも、究極の状況といえる危機の最前線においては、一つ一つの言葉に敏感でなければ、適切な対応は不可能だ。謝罪の場に限らず、危機への対応に携わる者として、日頃から自分が発する言葉が相手にどう受け取られるか、適切な言葉を選べているかに注意深くありたい。正しく言葉を使うというコミュニケーションの基本への注意力を「遺憾」なく発揮したいものだ。
以上