レポート/資料

自然を“測る”から、企業の行動を“つなぐ”へ ~Nature Footprintが拓く、自然関連対応の次のステージ~ 【RMFOCUS 第99号】

[このレポートを書いた専門家]

伊坪 徳宏
早稲田大学
理工学術院創造理工学部環境資源工学科
教授 伊坪 徳宏 氏
寺崎 康介
MS&ADインターリスク総研株式会社
リスクマネジメント第五部長 兼 フェロー
寺崎 康介

2026.10.2

要旨
  • TNFD対応の進展を踏まえ、Nature Footprintが果たす役割と意義を整理する。
  • LCA注1)を基盤に、自然への影響をバリューチェーン全体でとらえる考え方を示す。
  • 種の多様性のうち個体数/種数を示す既存指標(MSA、PDF、STARなど)とE/MSY指標との違いと実務上の意味を論じる。
  • 共同研究の成果と今後の社会実装、高度化の方向性を展望する。

気候変動対応に続き、企業経営における重要課題として急速に存在感を高めているのが、「自然資本」「生物多様性」である。とりわけ、TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)の開示提言が公表されて以降、多くの企業が自然関連課題の把握や評価に着手し始めている。

一方で、その実態を見ると、現時点では定性的な整理やハイレベルなリスク把握にとどまるケースも少なくない。自社拠点周辺の自然関連課題は把握できても、原材料調達を含むバリューチェーン全体で何が起きているのか、どこに重要な影響が集中しているのか、さらに何を優先して改善すべきなのかまで認識している企業は、まだ限られている。

こうした課題意識の下で開発が進められているのが、 Nature Footprint(ネイチャー・フットプリント)である。 LCA(Life Cycle Assessment)注1)の考え方を基盤に、バリューチェーン全体にわたる自然への影響を定量的に把握し、さらに生産拠点や原材料生産地などの位置情報を踏まえて重要な地域や事業プロセスを見極めることを可能にする。単なる開示のための評価にとどまらず、産業界、金融機関、消費者、行政など、多様な主体の対話と行動の軸になることが期待されている。

MS&ADインターリスク総研は2023年より、LCA研究の第一人者である早稲田大学の伊坪徳宏教授と共同研究を進め、Nature Footprintの重要な要素の一つである、拠点のロケーション情報に基づく土地改変による絶滅リスク算定の実現に取り組んできた。その成果は2026年6月に環境科学分野のトップジャーナルであるEnvironmental Science & Technology誌に掲載されたほか、「研究開発とSociety5.0との橋渡しプログラム」(BRIDGE)注2)のもと2024年10月から1年半にわたり実施された「金融/投資機関による自然関連情報開示促進と国際標準化を前提としたネイチャーフットプリントの開発と実証事業」でも基盤技術として活用されている。今後はいよいよ本格的な社会実装に向けたフェーズに移行することを目指している。

なぜ今、Nature Footprintなのか。従来手法と何が違うのか。そして、企業、金融機関、社会の対話と変革のための意思決定プロセスをどう変えていくのか。伊坪教授と、MS&ADインターリスク総研の寺崎が対談した。

1.TNFD以降、自然関連対応は次の段階に入った

【写真1】対談の様子(左:寺崎、右:伊坪教授)
サンプル画像
(MS&ADインターリスク総研撮影)

寺崎)最近、企業の自然関連対応は明らかに次の段階に入ってきたと感じています。少し前までは、CSR的な取り組みの延長線上で語られることも多かったと思いますが、今はそうではありません。TNFDの開示提言が公表されて、企業も自然関連課題の評価に動き始めています。しかし、重要なのは「開示のためにどう整えるか」だけではなくて、その先で企業として何を把握し、どう対話し、どこを変革していくのかだと思っています。

伊坪教授)まさにその通りですね。開示は一つの入口ではありますが、本質はそこではありません。自然関連課題について、企業、金融機関、行政、消費者といった多様な主体が、何を基準に議論するのか。その共通の評価軸になる情報が必要です。

2026年7月に熊本で行われたグローバル・ネイチャーポジティブ・サミットでも、政府との連携の下で開発してきたNature Footprintを産業界に実装していくという取り組みに対して、非常に大きな反響がありました。特に、産業界から消費者へ、あるいは金融機関へ情報発信していくうえで、その共通の評価軸になる手法が求められていることを強く感じました。

寺崎)評価手法が単なる分析ツールではなく、社会の中でいろいろな主体をつなぐ“共通言語”になるということですね。

伊坪教授)はい。自然関連課題は、特定の企業だけで完結するものではありません。上流の生産現場、下流の消費、資金を供給する金融機関、地域社会、政策とのつながりの中で見ていかないといけない。だからこそ、科学的でありながら、多様な主体が共有できる評価手法が必要になるわけです。

2.共同研究の出発点 ―LCAに“場所”の解像度を持ち込む

寺崎)私たちが2022年に伊坪先生に共同研究の相談をした際の問題意識も、まさにそこにありました。従来のLCAはバリューチェーン全体を評価できる非常に強力な考え方ですが、 CO2排出は1トンあたりの気候変動への影響量は全世界で共通です。生物多様性についても、被害係数注3)(たとえば土地を1ha改変した場合の生物種の絶滅リスクへの影響量)は国単位で値が決まっていました。一方で当時は草案段階だったTNFD提言を踏まえれば、自然関連課題を扱うには、より高解像度 で「どこで土地改変や資源利用などのインパクトが生じているか」を考慮することが極めて重要になります。

たとえば原材料調達でも、同じ作物であっても、どこの農地でつくられているのか、どこの森林を改変したのかによって、生物多様性への影響は大きく変わる。そこで、原材料生産地などのロケーション情報を踏まえて自然影響を測る「ロケーションベースLCA」を構築すべき、というのが共同研究の最初の出発点でした。

伊坪教授)寺崎さんからの提案は非常に重要でした。従来のL CAでは、ライフサイクル全体を幅広くカバーすることが優先されてきた一方で、原材料調達地や農地、森林、工場立地といった 「場所」に起因する影響の解像度を十分に高めきれていなかった側面があります。

しかし、自然への影響を考えると、まさにその部分が重要になる。農地が違えば影響は異なるし、森林の場所が変われば影響も変わる。自然関連課題では、地域的な解像度を高めることの重要性が一気に高まったわけです。

寺崎)最初は土地改変のインパクトに絞った被害係数の共同研究から始まりましたが、そこからBRIDGEでの「金融/投資機関による自然関連情報開示促進と国際標準化を前提としたネイチャーフットプリントの開発と実証事業」に広がっていった流れも大きかったですね。

伊坪教授)そうですね。MS&ADインターリスク総研との共同研究で、まずロケーション情報に基づく土地改変評価の重要性と実装可能性が見えてきた。すると次に、土地だけでなく、水や気候変動も含めて、自然生態系に対する影響をより包括的に見ていく必要があるという認識がはっきりしてきました。

その開発を一気に加速するために、政府との連携の下で、 BRIDGEへと展開していったわけです。産学官の枠組みの中で、多様な専門家とともに開発を進めることができたのは非常に大きかったと思います。

3.Nature Footprintとは何か ―LIMEを発展させた統合的な枠組み

寺崎)Nature Footprintは、カーボンフットプリントやウォーターフットプリントの延長線上で理解されることもありますが、実際にはもっと広い概念ですよね。

伊坪教授)はい。Nature Footprintは、企業活動が自然に与える影響を、できるだけ包括的に把握しようとする枠組みです。土地利用だけでなく、水利用、気候変動を通じた影響も含めてとらえる。そして、それをバリューチェーン全体で評価できるようにすることが重要です。

この開発の背景には、長年の環境影響評価手法LIME (Life cycle Impact assessment Method based on Endpoint modeling)注4) の研究蓄積があります。LIMEは 1998年から、日本の環境影響を網羅的に評価することを目的に研究開発を進めてきました。2010年から始まったLIME3(図1)ではグローバルサプライチェーンの評価も視野に入れてきましたし、生物多様性や一次生産、植物成長などに関する評価の知見も積み重ねてきました。

【図1】環境影響評価手法LIMEとネイチャーフットプリントの関係
【図1】環境影響評価手法LIMEとネイチャーフットプリントの関係
(出典:伊坪徳宏編著「LIME3 改訂増補 グローバルスケールのLCAを実現する環境影響評価手法」(2023年)を基にMS&ADインターリスク総研作成)

寺崎)そこに、今回のNature Footprintでは、さらに自然関連分野の専門家の知見が加わったわけですね。

伊坪教授)その通りです。LIMEで得た知見を基盤にしながら、拠点のロケーション情報をより精緻に扱うために、生物多様性の専門家、地理情報の専門家、水資源の専門家など、様々な研究者の力を結集する必要がありました。

そうした専門家の方々に参加いただけたのは、これまでの研究を通じたネットワークがあったからこそですし、自然関連課題を本当に社会実装するには、単一分野の知見だけでは足りないという認識が共有されていたからだと思います。

寺崎) 自然の問題は、やはり一つの要因だけでは語れませんからね。

伊坪教授)ええ。環境問題は本質的に多面的です。土地利用だけ見ればよいわけでもないし、水だけでもない。しかも、それぞれの主体がバラバラの指標で議論していては、なかなか対話が進みません。

多様な主体が議論を共有するためには、ある程度統合された指標が必要です。Nature Footprintは、そうした意味でも、科学的な基盤を持ちながら、実務上のコミュニケーションを支える枠組みとして位置付けられると思っています。

4.LCAの強み ― 製品・サービスのボトムアップ評価を、企業全体の判断につなげる

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