解説!SSBJ基準対応の人的資本開示の4つのポイント ①リスクと機会を分析する
[この記事を書いたコンサルタント]

- 会社名
- MS&ADインターリスク総研株式会社
- 役職名
- リスクマネジメント第四部 人的資本・健康経営グループ 上席コンサルタント
- 執筆者名
- 徳永 満博 Mitsuhiro Tokunaga
2026.4.16
2027年3月期以降、プライム上場企業の一部について、SSBJ基準に基づき人的資本を含むサステナビリティ情報を有価証券報告書に開示することが義務付けられました。
RM NAVIではこれまで2回にわたり、対象となる企業が、SSBJ基準に沿った人的資本情報の開示にどう対応すればよいのか、全体像を解説してきました。
過去の記事はこちら
- 「人的資本の新たな開示基準「SSBJ基準」とは?いま、企業に求められていることを専門家がわかりやすく解説(SSBJ基準解説・前編)」
- 「 人的資本の情報をSSBJ基準で開示する際のポイントは?専門家がわかりやすく解説(SSBJ基準解説・後編) 」
今回からは全4回のシリーズで、SSBJ基準への対応に向けて特に意識すべきポイントについて、人的資本開示のコンサルティングを行っているMS&ADインターリスク総研の複数のコンサルタントがリレー形式で分かりやすく解説します。
1回目の今回は「人的資本のリスクと機会の分析」についてです。
このシリーズで取り上げる4つのポイント
- 今回はコチラ 人的資本のリスクと機会の分析 今回はコチラ
- 人的資本のガバナンス・リスク管理
- 連結ベースでの人的資本KPIの可視化
- 人的資本におけるインパクトパスの明確化
流れ
- SSBJ基準で人的資本の開示を行う重要性とは?
- リスクと機会の分析に必要なのは、識別、範囲の決定、重要性がある情報の識別
- リスクと機会の分析で陥りがちな“落とし穴”とは?
- 分析を通じて得られるメリットと気づき
- 自社の人材戦略をブラッシュアップする良い機会に
SSBJ基準で人的資本の開示を行う重要性とは?
――まず、前回インタビューの際、「人的資本に関する情報開示について、SSBJ基準の適用がすべての企業に義務付けられているわけではない」とお聞きしましたが、SSBJ基準で人的資本の開示を行う重要性について教えてください。
徳永)SSBJ基準では「投資家の投資判断に影響する重要な情報を開示する」ことが求められます。現在、有価証券報告書や統合報告書で人的資本について開示する多くの企業において、人的資本は「企業価値の源泉」「当社最大の資産は人材」といった表現をよく目にします。
実際にそうであるならば、人的資本は将来の事業・経営成績に大きく影響するはずです。そして、将来の事業・経営成績に影響があるものは、投資家にとって投資判断に有用な情報といえます。
一方で、SSBJ基準が適用される企業がこれに準拠した人的資本の開示をしなかった場合、投資家をはじめとする外部からは、「当社では投資家に提供すべき(=投資判断に影響する)重要な情報に人的資本は含まない」と企業が判断したと評価を受ける可能性があります。
「人的資本は企業価値の源泉」と記載していながら、SSBJ基準に準拠した人的資本の開示をしない企業姿勢に矛盾を感じる投資家も出てくるでしょう。SSBJ基準で人的資本の開示を行わない場合、このようなメッセージが外部に伝わる可能性があることを十分に留意する必要があります。
リスクと機会の分析に必要なのは、識別、範囲の決定、重要性がある情報の識別
――今回は1つ目のポイント「人的資本のリスクと機会の分析」についてですが、どのような点を押さえて進めていけばよいでしょうか?
徳永)大まかにいうと、リスクと機会の、“識別”、“範囲の決定”、“重要性がある情報の識別”の順に検討を進める流れになります。
SSBJ基準が示す、リスク及び機会の分析手順


出典:サステナビリティ開示ユニバーサル基準「サステナビリティ開示基準の適用」よりMS&ADインターリスク総研が作成
特に意識してもらいたいのが、人的資本可視化指針(改訂版)にも示されているように、「経営戦略の実現に向けて、企業の見通しに影響を与えると合理的に見込み得る人的資本に関するリスク及び機会を整理する」ことです。つまり、単に人事領域の課題を整理するのではなく、「将来の事業の見通しや経営戦略、財務指標など企業価値に影響を与えるという観点から人的資本を捉えること」が重要になります。
リスクと機会の識別
将来の経営の見通しと財務影響の観点から、自社にとっての重要なリスクと機会を洗い出し、特定していくプロセスです。
企業の経営戦略・成長戦略を達成するために必要となる「あるべき組織・人材の姿」を前提に、その実現を阻害するリスクや、逆に企業価値向上につながる機会を整理することが求められます。人的資本のリスクと機会の内容は、企業の業種やビジネスモデルによって大きく異なるため、「業界別のガイドライン」や「他社事例」などを参考にしながら、まずは過去の経験や主観だけに頼らず網羅的にリストアップすることが重要です。
リスクと機会の範囲の決定
次にリスクと機会の範囲をどのように決定するかですが、この際、バリューチェーンを考慮して範囲を決定します。なお、「リスクと機会の識別」と「リスクと機会の範囲の決定」は必ずしも段階的に進むものではなく、両者を行き来しながら検討することもあると思います。
さて、ここでのバリューチェーンとは、「報告企業のビジネス・モデル及び当該企業が事業を営む外部環境に関連する、相互作用、資源及び関係のすべて」を指しています。もう少しわかりやすく言うと、自社の従業員はもちろん、これまであまり人的資本の文脈では言及されてこなかったサプライヤーや外注先の労働力も含まれる可能性があるということです。
重要性がある情報の識別
ここまで識別したリスクと機会の内容をもとに、企業の見通しに影響を与えると合理的に見込み得る情報として、「重要性がある情報の識別」を行います。
判断基準として押さえておく必要があるのが「投資家の意思決定に影響を与えるかどうか」という観点です。リスクと機会の影響の規模や性質、キャッシュフローに与える潜在的な影響、そして考えられる結果の発生可能性などを踏まえて優先順位を付けていきます。
こうしたSSBJ基準が示す「リスクと機会」の分析の観点を踏まえ、当社が実際に支援する際には、次の図表のようなステップで分析を行っています。
当社が考える「リスクと機会」の分析ステップの一例


出典:MS&ADインターリスク総研
当社が実際に支援する際には、「発生可能性」「影響度」「時間(短中長期)」の3つの軸で評価を行い、さらに投資家の意思決定に影響を与えるかどうかという観点で合理的に優先順位を決定しています。
このプロセスは、各社ごとにビジネスをめぐる環境や、その企業が大事にしたいフィロソフィーや戦略・ステークホルダーが異なるため、綿密なディスカッションを通じて最適な優先順位付けを行うことを心がけています。
リスクと機会の分析で陥りがちな“落とし穴”とは?
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――人的資本に関しては人事部門が担当しているケースがほとんどだと思います。“投資家観点”で人的資本のリスクと機会の分析を行う経験がない人事部門が、陥りやすい“落とし穴”はありますか?
徳永)人的資本のリスクと機会の分析を社内だけで進めていくと、どうしても自社の情報だけに内容が偏って、客観性がなくなってしまいます。「投資家が納得できるか」という観点から客観性を担保する必要があるため、コンサルタントや社外取締役などの第三者視点を入れて分析を進めることも方法の一つです。さらに、業界のガイドライン(例:SASBスタンダード)なども積極的に取り入れることで、バイアスを排除し、より納得感のある説明に近づけることができます。
企業が開示している人的資本のリスク及び機会の分析の中には、経営戦略や成長戦略の視点が十分に反映されていないケースがあります。本来は、企業が目指す事業の方向性を踏まえ、「事業や競争力がどのような人材・組織に依存しているか」、「経営戦略を実行する上で重要となる人材・組織と、その実現にどのようなリスクや機会があるのか」という観点で整理することが重要といえます。こうした観点を踏まえて整理することで、より経営戦略や企業価値と結びついた人的資本のリスク及び機会を明確にすることができます。
また、これまで人的資本に関する戦略・施策の立案や分析は主に人事部が担ってきており、サステナビリティやリスク管理の部門との連携が不十分な例が見られます。しかし、投資家視点やサステナビリティの観点を重視するSSBJ基準に対応するには、関係部門が互いの意図や目的を理解し合い、協力して開示内容を検討することが不可欠です。


例えば、リスク管理部門や事業部側で人的資本領域に属する安全衛生、人材確保、コンプライアンス遵守などの観点でリスクと機会の分析を行っている場合もあると思います。そうした場合には、人的資本全般の分析において既存の分析と齟齬や矛盾が生じないよう、十分に整合性を持って進めることが重要です。
分析を通じて得られるメリットと気づき
――人的資本のリスクと機会の分析を通じて得られるメリットや気づきなどはありますか?
徳永)陥りやすい“落とし穴”の話にも通じるのですが、第三者の視点を入れて分析を進めることで社内だけでは得られなかった客観的な気づきや新しい認識を持つことができる点が重要と考えます。
コンサルティングの現場では、リスクと機会の分析を通じて、企業担当者が「自社の現状の強みと課題」や「意識すべきステークホルダー」、「これから伸ばすべき事業領域に必要な人的資本」といったテーマについて気づきを得るケースが多く見られます。
さらに、こうした分析を通じて、「自社の事業や競争力がどのような人的資本に依存しているのか」、また「人的資本が経営や事業にどのような影響を与えているのかといった相互関係」を整理できる点も大きなメリットです。そのうえで、経営戦略や成長戦略を実現するうえで特に重要となる人材課題は何かが明確になっていきます。
例えば、どの領域の人材確保や育成が事業成長のボトルネックになり得るのか、あるいはどのような組織能力を強化することが競争力につながるのかといった観点が整理されていきます。その結果として、経営戦略を実行するために何に注力すべきか、どの領域に人的資本投資を行うことで投資対効果を最大化できるのかといった優先順位も見えてきます。
このような気付きを基に、客観的な視点と自社で大切にすべき価値観を掛け合わせることで、人材戦略が企業価値向上につながるストーリーを、より明確に描けるようになります。
自社の人材戦略をブラッシュアップする良い機会に
――人事部門の方たちの多くは、これまで経験したことのないことに取り組むことになり、不安を感じているかもしれませんが、取り組むうえでのポイントを教えてもらえますか?
徳永)人材戦略と人への投資において、もっとも大事なステークホルダーは従業員だという考え方は、これからも変わらないと考えています。一方で、投資家を含む様々なステークホルダーを意識した人材戦略の立案と開示が、これからは求められるようになります。
その意味では、「全く新しい人材戦略をゼロから作る」のではなく、リスクと機会の分析を通じて得られた新たな気づきを活かして、自社の人材戦略をよりレベルの高いものへとブラッシュアップする機会ととらえて前向きに取り組んでもらえたらと思います。
MS&ADインターリスク総研では、人的資本に関するリスク・機会の分析に基づく人材戦略の策定や、人的資本と財務とのつながりを示す「インパクトパス」の作成支援、連結ベースでの指標算出を可能とするシステム基盤の整備など、SSBJ基準への適合に向けた人的資本経営・開示の実践を支援しています。
貴社のご状況に合わせたプランをご提案しますので、詳細やお見積りのご希望は以下のフォームからご連絡ください。