首都直下地震の被害想定見直しと企業の対策【BCMニュース(2026年3月)】
[このレポートを書いたコンサルタント]
- 会社名
- MS&ADインターリスク総研株式会社
- 部署名
- リスクマネジメント第四部
BCM第三グループ - 執筆者名
- アシスタントマネジャー 江口 祥彦
2026.3.5
- 令和7年12月19日、中央防災会議は首都直下地震の被害想定を12年ぶりに見直した。
- 今回の被害想定において、中央防災会議は(1)従業員を含む「人」を起点とした課題、(2)企業の本社系機能の継続性確保、(3)過酷事象等への備えの3つに着目していると考えられ、企業としての対策を求めている。
- 本稿では、上記3つの着目ポイントを踏まえつつ、企業の取るべき対策の例や、対策を検討する上での留意点について解説する。
1.はじめに
令和7年12月19日、中央防災会議は「首都直下地震の被害想定と対策について(報告書)~首都中枢機能を維持し、膨大な人的・物的被害を減らすために、私たちみんなが「自分ごと」として捉え、ともに立ち向かっていく~」を公表した。前回の被害想定(2013年)から約12年ぶりの見直しである。
今回の被害想定では、最新の科学的知見に基づき、想定される地震タイプと震度分布・津波高を踏まえ、これらハザードによる直接的・間接的な被害想定を算出していることに加え、首都圏を取り巻く状況の変化とその社会的影響を念頭に置きつつ、これまでの防災対策の進捗や平成28年熊本地震・令和6年能登半島地震の教訓を踏まえて、今後取るべき対策の方向性を示している。被害想定の見直しの詳細は、本稿と同日に発行されたMS&ADインターリスクレポート「災害リスク情報<第105号>」を参照いただきたい。
本稿では、今回の見直しに当たり、中央防災会議が特に着目したポイントを整理した上で、企業に与える影響や取るべき対策等について、事例等を交えながら解説する。自社の現状と照らし合わせ、対応を見直すきっかけとしていただきたい。
2.今回の被害想定において中央防災会議が着目したポイント
まず、今回の被害想定において強調されている項目のうち、特に企業活動への影響や対策検討の必要性の観点から、中央防災会議が着目していると考えられるポイントを解説する。
(1)従業員を含む「人」を起点とした課題
今回の被害想定では、人的・物的被害の軽減に向けた対策を提言するにあたり、その前提として、防災意識の「自分ごと」化を強く求めており、従業員を含む「人」を起点とし、意識・行動変容の必要性や職場への影響を左右する課題を示唆する記述が目立つ。
① 平時からの防災意識の向上(「自分ごと」化)
首都直下地震による人的・物的被害といった直接被害の絶対量は、この間の様々な対策の進展により、前回の被害想定に比べると軽減する傾向となっている一方で、首都中枢機能が極めて高度に集積し、かつ、我が国の人口の約3割が居住している首都圏が被災することによる社会的影響は、依然として甚大であると言わざるを得ない。
こうした中で、中央防災会議は、事前防災に総力を挙げて取り組むために、自然災害に対して「行政が守る者、国民が守られる者」という考え方から、「国民、企業等、地域、行政がともに災害に立ち向かう」という考え方へ転換する必要があり、そのためにも、「防災意識の醸成(自分ごと)化、社会全体での体制の構築」に取り組まなければならない、と警鐘を鳴らしている。対策推進の国民的気運を高めるため、首都直下地震等に関する知識や日頃からの備えとして、地域の災害リスク情報の周知と納得して具体的な行動を取るためのリスク・コミュニケーションの充実・強化、防災教育の充実、訓練等を通じた地方公共団体や企業等の災害対応力の強化が必要とされている。
振り返ると、前回の被害想定では、防災教育の推進や防災意識の向上等については、推進していくべき「当然のこと」とされ、ほぼ書き込まれなかった。しかし、今回の被害想定では、防災意識の向上に向けた記載が随所に見られることに加え、報告書の副題に「『自分ごと』化」が冠されるに至っている。前回の被害想定から10年以上が経過した今もなお、首都直下地震が国民生活に及ぼす影響は非常に大きい状況は続いており、「行政が守る者、国民が守られる者」という考え方の転換を急がねばらないとの危機感が伺え、今回の被害想定において中央防災会議が最も伝えたいメッセージと言えるだろう。
② 家庭の防災
首都直下地震の発生後には、膨大な数の住民が避難所に集中し、避難所の定員を大幅に超過することが想定される。このため、避難所の負荷を減らし、真に必要とする人へ支援が行われるよう、至急の支援を要しない場合は在宅避難が推奨され、そのための事前の備えとして、個々の住宅等の耐震化や備蓄品の確保など、家庭の防災についても言及されている。
本来、家庭での初期的な安全確保や避難対応は従業員個人やその家族の責務だが、発災時に「自宅に安全な場所を確保できない」「夜間・休日の発災で出社せず家庭対応を優先する」といった事態が相当数発生すると、従業員の安全確保優先によって業務が停滞し、早期復旧の機会を失いかねない。こうした事態に備え、企業においても、家庭の防災対策について一定程度の啓蒙が必要であるとともに、テレワーク等の遠隔就業手段や被災時の連絡・業務代替体制の整備の必要性が示唆されている。
前回の被害想定では、各家庭における備蓄の推奨が簡潔に記載される程度であったが、今回の被害想定では、前述の「自分ごと」化を推進する観点から、自助の強化として個人・家庭が取るべき行動への記載が大幅に増加しており、中央防災会議が強調したいポイントと言えそうだ。
③ 従業員環境の多様化がもたらす影響
中央防災会議は、社会構造の変化が及ぼす影響の1つとして、首都圏の共働き世帯の増加を挙げている。共働き世帯では、保護者が帰宅困難者となることによって、保育所や学校へ子どもを迎えに行けなくなる状況が発生するほか、臨時休校が続くことで日中の世話が必要となり、従業員が出社できなくなる可能性を提示している。
また、災害時に支援を必要とする者への対応強化も課題として提起されている。この10年間において、我が国における労働市場の構成は大きく変貌を遂げている。2021年の高年齢者雇用安定法の改正による70歳までの就業機会確保の促進や、障害者雇用促進法の累次の改正による雇用義務の拡大(精神障害者の雇用義務化や法定雇用率の引き上げ等)により、従業員として働く高齢者・障害者の数は増加の一途を辿っている。平時であれば自律的に働くことができる従業員であっても、災害時における過酷な環境下では、医療・福祉サービスの利用者であるか否かにかかわらず、身体的・精神的に大きなダメージを受ける恐れがあり、ケアの必要性が増すことを念頭に置かなければならない。
さらに、近年は外国人労働者の増加も著しい。災害時は外国語での情報提供が限られ、言語の壁により得られる情報量が少なくなるほか、地震に関する知識や経験の少なさ故に適切な避難行動をとれずに火災等に巻き込まれたり、発災後の混乱の中、帰国手段の情報がなく身動きが取れなくなったりするなど、発災後の混乱による悪影響を受けやすいおそれがあると指摘されている。
従業員環境の多様化は、ある意味で、企業活動に影響を与える最も大きな社会構造の変化と言えるものである。今回の被害想定においても大幅に記載が増えており、対策の検討が促されている点に注意が必要だ。
④ 業務に従事できる従業員の不足
近年、労働力人口の減少に伴う人手不足の影響により、各企業が対応に苦慮する中で、ただでさえ人的リソースが棄損する可能性の高い災害時において、出社できない、あるいは平時に比べて職務遂行レベルが大幅に低下してしまう従業員が想定以上に多くなることは、企業等の業務継続や早期復旧に大きな支障を及ぼす。
今回の被害想定では、先述のように、子どもを持つ共働き世帯や高齢従業員・障害を持つ従業員の出社困難に加え、鉄道運休の長期化により物理的に出社困難な状況が続く可能性があるため、企業として、災害時にテレワークによる事業継続が可能となるように検討してBCPに反映するとともに、平時からテレワークを促進しておく必要があると言及されている。先述のように在宅避難が推奨されていることとも合わせ考慮すると、出社のみに頼らず業務に従事できる従業員をいかに確保するかがポイントとなってくる。なお、被害想定の中で対応策として提示されたものはテレワークのみだが、それ以外の選択肢も考えられる。具体的な対応策については後述する。
⑤ 一斉帰宅の抑制
大規模地震発生時における帰宅困難者対策の必要性については、2011年の東日本大震災を契機として、一般的に広く認識されるに至り、ガイドラインや条例制定がなされる等の対応がなされてきた。前回の被害想定でも課題として提示されてきたが、今回の被害想定においても改めて警鐘を鳴らしている。
鉄道等の公共交通機関の運転取りやめ等に伴い、人々が徒歩等で一斉に帰宅すると、歩道からあふれ応急活動の妨げになるほか、帰宅困難者自身が集団転倒等の二次被害に巻き込まれる恐れがあることから、発災後72時間が経過するまでの待機を求めている。
また、72時間経過後においても、電車等の公共交通機関が使用できないおそれがあり、大量の帰宅困難者が一斉に移動を開始すると、新たな混乱をもたらす可能性も指摘されている。このため、今回の被害想定では、72時間経過後の分散帰宅の徹底の必要性が新たに記載として加わっている点も注目が必要だ。分散帰宅のための帰宅ルートやグルーピングの検討が必要となる。さらに、分散帰宅を行うこととなると、場合によっては会社内に4日以上待機する従業員が発生し、備蓄物資が枯渇する可能性があり、企業としても対策が迫られる。
(2)企業の本社系機能の継続性確保
首都圏には、我が国の政治、行政、経済の中枢を担う機関が高度に集積しており、首都直下地震によりこれらの中枢機能に障害が発生した場合、我が国全体にわたって国民生活や経済活動に支障が生じることから、今回の被害想定では、首都中枢機能の確保を大きなトピックとして取り上げている。
企業も例外ではなく、首都圏に集中している本社系機能の停滞・低下は、全国のサプライチェーンや顧客・取引先に影響が及ぶ。自社建物が被災する場合はもちろんだが、ライフライン被害(特に電力と通信)や周辺の交通インフラ被害、首都圏に集積するデータセンター被災によるITシステム被害等により、企業活動全体が停滞するおそれがあることから、中央防災会議は、首都圏外への本社系機能の一時的移転等、機能継続に向けた具体的な手法を提言に盛り込んでいる。
前回の被害想定においても、本社系機能の停滞が及ぼす影響について言及はあったものの、具体的に企業が取るべき具体的な対策手法への言及は見送られていた。今回の被害想定で手法が提言されたことを踏まえると、中央防災会議が企業に対して、一歩踏み込んだ対策の検討を促す意図があることが垣間見える。
(3)過酷事象等への備え
さらに、今回の被害想定では、首都直下地震の発生時に、基本的な被害想定を超えて発生する可能性がある過酷事象等への対応の記載が増加している点も特徴だ。前回の被害想定では、交通施設の被災、火力発電所の大規模被災、コンビナート等における大規模災害等への記載が見られたが、2013年以降の災害事例を踏まえ、首都圏全域での大規模停電(ブラックアウト)の発生等の過酷事象の例示が増加したほか、複数の自然災害の同時発生やサイバー攻撃等が重なる複合災害についての記載が新たに加わっており、単なる地震災害への対応のみでは有事を乗り切ることができないことを示している点が大きなポイントだ。
過酷事象は決して過大な想定ではない。例えば、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震では、北海道全域で大規模停電(ブラックアウト)が発生した。主力となる火力発電所だけでなく、風力・水力等の各発電所が大量に停止したことで、日本で初めてとなるエリア全域に及ぶ停電となり、全面復旧に約2日を要した。この間、公共交通機関が全線運転見合わせとなったほか、一時的に災害基幹病院において通常の救急対応ができない状態も発生する等、影響の大きさが注目を浴びた。同様の事態が首都圏において発生すると、企業活動にも大きな影響を及ぼす可能性が高い。
また、令和6年能登半島地震では、地震発生と同年の9月に、記録的豪雨による河川の氾濫や土砂災害が発生し、地震によって建設された仮設住宅が浸水する被害も生じている。地震発生から水害の発生までの期間が経過していても、様々なリソースが長期間にわたり棄損している状態では被害が拡大するおそれがあり、復旧・復興へのモチベーション低下にも関わってくる。複合災害の発生間隔が短ければ短いほど、さらに被害が甚大化する可能性もある。
さらに、確率は低いものの、首都直下地震は、断層型地震だけではなく、津波を伴う海溝型地震として発生する可能性も存在する。実は、1923年の大正関東地震も海溝型地震であり、津波被害が観測されている。東京都・神奈川県・千葉県の沿岸部を中心に対策が必要であると指摘されているが、断層型地震のみをイメージした対策を講じていると、津波対策は盲点となっている可能性が高く、注意が必要である。
3.企業が取るべき対策
ここからは、先述した中央防災会議が着目したポイントに対し、企業が取るべき対策の例や、対策を検討するにあたってのポイントを中心に解説する。限られた資源で効果を最大化し事業継続力を高めるため、短期・中長期的な対応の検討に役立てていただきたい。
(1)従業員を含む「人」を起点とした課題への対策
先述のとおり、防災対策の「自分ごと」化は、対応力向上の大前提となることから、従業員の意識・行動変容を図る取り組みを講じることが企業には求められている。
そして、企業のリスク対応は、建物やシステムの強化と並んで、「人」を起点にした設計が不可欠である。従業員を守る施策は、人道的配慮という倫理的要請への対応であると同時に、事業継続にとっての最重要リソースを守る基盤という二重の性格を持つ。首都直下地震の示す厳しい現実に対して、従業員の安心が企業の回復力を支えるという視点を経営トップが共有することが、真のレジリエンス構築への第一歩と言える。
① 全従業員に対する防災・BCM教育の推進
BCPは、単に文書の整備で終わらせず、実効性を確保することが重要であり、事業継続マネジメント(BCM)を講じていくことが求められることは、論を俟たないところである。この点、従来から実施されている災害対策要員向けの訓練・教育の重要性に加え、全従業員に対する防災・BCM教育の定期的な実施も求めらていることを強調したい。
企業の防災・BCM活動は、災害対策要員のみで完遂することは難しい可能性があり、濃淡はあれど、全従業員が一定の共通認識・理解を持った上で、協力して対応することが求められる。他方で、活動に理解を示し、最低限の協力が得られればよいため、災害対策要員と同じレベル・内容を伝達する必要は必ずしもない。
こうした点を考慮しながら、従業員教育を推進していくためには、表1の3つのSTEPを踏むことを推奨する…
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