コラム/トピックス

ソーシャルインフレーションの要因とは? 社会・経済の観点から

2024.10.3

はじめに

本連載では、ソーシャルインフレーション、すなわち「(損害賠償責任保険の)保険金支払いが一般的な経済的インフレーションを上回って上昇」 する現象について、その現状、要因と今後の展望を述べていきます。
前回はソーシャルインフレーションの現状を概観しました。連載 2 回目となる今回は、ソーシャルインフレーションの要因について、社会および経済の観点からみていきます。

1.ソーシャルインフレーションの要因 ―社会的観点―

(1)ミレニアル世代の台頭

米国では刑事訴訟だけでなく、民事訴訟においても陪審制が採用されており、一般市民から選ばれた陪審員が合議により事実認定を行い、評決を下します。

近年、陪審員の多くをミレニアル世代と呼ばれる1980年代前半から1990 年代半ばまでに生まれた人々が占めるようになっており、この世代特有の考え方が評決のあり方に影響を及ぼしているのではないかという指摘がなされています。

図1
図1 米国における世代ごとの人口(単位は100万人)※1

ミレニアル世代は「正しい行い」を強く求める傾向があると一般的には指摘されています。ある調査によると、「企業はコストや実現可能性に関わらず、安全の実現のためにあらゆる手段を尽くすべきか」という問いに対し、ミレニアル世代の84%が「そう思う」(「強くそう思う」と回答した63%を含む)と回答しています※2

こうした傾向から、ミレニアル世代の陪審員が「企業の安全対策が不十分なために事故が起きた」と評価した場合、陪審員の期待に沿わない対応をしていた企業へ厳しい目が向けられることになります。

一方で、ミレニアル世代は「何が正しいか」についても独自の価値観を持っているともみられます。

別の調査によると、ミレニアル世代の82%は「自己の信念と法律が相反する場合、自己の信念に従って評決を下す」と回答しています※3

ここから、ミレニアル世代の陪審員は法律の求める範囲を超えて被告企業の責任を追及する場合が想起されます。

以上のようなミレニアル世代の傾向や価値観が、前回記事において取り上げた、1,000万ドル(約15億円)を超える「Nuclear Verdict(核評決)」の規模および頻度の増加に寄与している可能性が考えられます。

ミレニアル世代の台頭とソーシャルインフレーションとの相関関係については懐疑的な見解もあり、さらなる調査・研究が求められるところです。陪審員に占めるミレニアル世代の割合が高い状況は今後も継続するため、企業をはじめとする被告側からはその存在を軽視することはできません。

(2)企業に対する不信感

世代を超えた傾向として、企業に対する不信感を挙げることができます。

米国においては、2007年の世界金融危機の際「一般債務者より金融機関の救済が優先された」という受け止め方がされたことを契機として、企業に対する不信感が醸成されたといわれています。

こうした不信感は年々強まっているといわれており、2019年に行われたある意識調査によると、「大企業はあまりにも大きな力と社会への影響を有している」と考える米国の成人の割合は82%(2011年時の同様の調査と比較して1.75倍増)となっています※4

不信感が向けられる先は大企業に限られず、別の調査では「企業は市民の安全より自らの利益を優先するか」という問いに対し、回答者の81%が「思う」(「強くそう思う」と回答した28%を含む)と回答しています※5

では、企業に対する不信感と訴訟における評決額に相関関係はあるのでしょうか。

この点に着目した論文によると、企業に対する不信感が強くなるほど、評決額が大きくなるという関係性が示されています※6

この研究は、過去に起きた製造物責任訴訟をモデルケースとして、模擬陪審に評決を下してもらい、その結果をまとめたものです。

以下に引用するグラフは、縦軸が下された評決額(上にいくほど大きい)、横軸が企業に対する不信感(右に行くほど強い)を7段階で指標化して示しています。引かれた3本の線はそれぞれ、実線が知名度の高い企業、破線が知名度が中程度の企業、点線が知名度が低い企業を被告として設定した場合の結果を表しています。

いずれの線も右肩上がりとなっており、不信感が強いほど評決額が大きくなっている相関が読み取れます。また、この傾向は知名度が低い企業においてより顕著となっています。

図2
図 2 企業に対する不信感と評決額の相関関係※6

この研究はあくまで一定条件下での検証における傾向を示すものですが、ソーシャルインフレーションの一要因として企業に対する不信感の広がりを指摘するレポートは多くみられます※7

2.ソーシャルインフレーションの要因 ―経済的観点―

(1)弁護士事務所による広告への投資

米国においては従来より、テレビやラジオでのCM から、インターネット広告、幹線道路沿いの大型看板に至るまで、多種多様な手段を通じ、弁護士事務所が潜在的な被害者に対し訴訟提起を呼び掛けています。

このような宣伝活動は、近年ますます活発になっています。

たとえば、弁護士事務所によるテレビCM は2006 年から2020 年にかけて3.5倍以上に、弁護士事務所によるインターネット広告のクリック数は2018年から2022年にかけて5倍以上にそれぞれ増えています※8

加えて、特定の製品による集団的被害に関し、訴訟参加を呼び掛ける広告もみられます。

表1 特定製品に関する訴訟を喚起する宣伝活動の例※9

広告の開始時期 標的となった製品 投じられたテレビ広告費 放映されたテレビCM数
2015年~ 除草剤 1億3100万ドル 625,000本
2015年~ ベビーパウダー 1億900万ドル 370,000本
2021年~ 除草剤 2400万ドル 150,000 本

上表1で「標的になった製品」として挙げたものは、いずれも長年にわたり広く使われてきた製品で、がんなどの健康被害を引き起こす可能性が主張されていました。

結果的に、2015年から広告が行われてきた除草剤については、約12万5000件の訴訟が提起され、2020年に原告約10万人と109億ドル(約1兆1600億円、当時)で和解が成立しました。

また、ベビーパウダーについては、5万件を超える訴訟が提起され、2024年に64億8000万ドル(約1兆200億円、当時)で和解提案がされています。

これらの事例から、弁護士事務所による広告を通じ、より多くの訴訟が提起され、高額の賠償につながっている可能性が考えられます。

(2)所得格差

経済を切り口としたソーシャルインフレーションに関する研究の一つとして、地域における所得格差と評決額の関係性に着目した調査が行われています※10

この調査では、所得格差を表すジニ係数などに基づき「所得格差が大きい」とされた地域においては「陪審員がより高額の評決を下す傾向がある」という結論が得られました。

ジニ係数に基づくと、米国では1981年以降、所得格差が拡大傾向にあり、これがソーシャルインフレーションを進展させる一要素となっていると考えることができます。

次号のPLレポートでは、ソーシャルインフレーションの第三の要因として法制度に着目し、その内容を詳述します。

1) Statista “Resident population in the United States in 2023, by generation“
https://www.statista.com/statistics/797321/us-population-by-generation/
2)Nelson Mullins “The Millennial Invasion of Jury Pools”
https://www.nelsonmullins.com/storage/HIL9gg7pag9D2FKTs4ptpKriTSrcCgA0fVsXhLga.pdf
3)Sound Jury Consulting “The Importance of Letting Jurors Be Egocentric in Voir Dire”
https://soundjuryconsulting.com/the-importance-of-letting-jurors-be-egocentric-in-voir-dire/
4)CapSpecialty “Social Inflation”
https://psmedia.capspecialty.com/wp-content/uploads/2021/01/26130924/White-Paper_Social-Inflation.pdf
5)ジュネーブ協会 “Social Inflation: Navigating the evolving claims environment”
https://www.genevaassociation.org/sites/default/files/social_inflation_web_171220.pdf
6)Hunter, Kirsten Deming “Company Familiarity Moderates Anti-corporate Bias and Jurors' Compensatory Award Amounts”
7)一例として、ジュネーブ協会 “Social Inflation: Navigating the evolving claims environment”
https://www.genevaassociation.org/sites/default/files/social_inflation_web_171220.pdf
8)Boston Consulting Group “Tackling Social Inflation: A Strategic Imperative for P&C Insurers”
https://media-publications.bcg.com/Tackling-Social-Inflation.pdf
9)米国不法行為改革協会 “Legal Services Advertising Quarters 1-2”(https://www.atra.org/wp-content/uploads/2022/09/California-Legal-Services-Ad-Spending-Report-Q1-Q22022-ATRA-X-Ante-9.15.22.pdf)に基づきMS&ADインターリスク総研が作成。ただし、文中の「訴訟の結果・金額」等は報道に基づく。
10)ゼネラル再保険 “Quantifying Social Inflation - Jury Awards, Income Inequality and the Bronx Jury Hypothesis”
https://www.genre.com/us/knowledge/publications/2020/september/quantifying-social-inflation-jury-awards-income-inequality-and-the-bronx-jury-hypothesis-en

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